こんにちは。
今回も私の記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。
今回は、私のミッションステートメントをご紹介しながら、
ミッションステートメントってどんなもので、
どうやって定まったかに触れていきたいと思います。
私のミッションステートメントは?
私のミッションステートメントは、
「人が、自分の命の価値に気づき、愛を持って生きられる世界をつくる」
です。
なんか格好つけて言っていますが、
実は最近定まってきたものなんです笑
私が、ある人に出会い、
自分の源に触れられる体験をしたときに、
「あ、これだ!!」となりました。
また変わるかもしれませんが笑
ミッションステートメントが定まった経緯
2021年の年末に、ある本に出会いました。
それは、由佐美加子さんの『ザ・メンタルモデル』です。
その出会いは、突然で、衝撃的なものでした。。。
ブログを読んでいただいている方はお分かりだと思いますが、
私は、自己啓発オタクで、さらに最近は、
慶應大学の前野隆司先生の幸福学に興味を持ち、
前野先生の本やyoutubeを身漁っていました笑
そのときに由佐さんに出会いました!!
初見は、youtubeで前野先生とセッションしてみえる動画でした。
衝撃でした。
「え?嘘でしょ!!??」と思いました笑
私自身がこれまでの人生において、
学んできたこと、習得してきことなどが、
それぞれの項目毎に、点でバラバラになっていたものが、
1本の線で繋がった感覚でした。
今まで謎に感じていたこと、
疑問になったままだったこと、
不思議な感覚はあったもののそのままにしていたものなど、
全てが繋がりました。
そして、由佐さんの本や動画を進めるうちに、
段々と私の中心にある「痛みの根源」と言われるものが見えてきました。
そして、自分のメンタルモデルはもちろん、
自分が「何のために生まれてきたのか」を感じ取ることができました。
(もちろん、仮説ですが)
痛みって何?痛みのエピソード
急に「痛みの根源」とか言われても、ポカンとしてしまうと思いますが、
どんなものかは以下の私の体験を紹介しながら、
感じていただけると幸いです。
私の中心にある「痛み」は、
「認められたいけど、認めてもらえない」
というものです。
もう1つ不快な体験が、
「大切にされていない人、理不尽な扱いをされている人を見ること」
で私はとても辛くなります。
私の痛みの元になっている体験は、こんなものです。
私が保育園のとき、登下園を毎日祖母に歩いて送り迎えをしてもらっていました。
その当時両親は、早朝に仕事に行き、私が寝た後に帰宅するような生活をしていました。
なので、私はほとんど両親の顔を見ることがない生活をしていました。
きっと、甘えたかったんでしょうけど、甘えられなかったんでしょうね。
でも、私の同級生である保育園にいる友達は、いつもお母さんやお父さんが送り迎えをしてくれていて、
迎えにきてくれた親に向かって、走って行って抱きついている友達を見て、
きっと寂しかったんだと思います。
手を繋いで駐車場へ行き、車で送り迎えしてもらっているのが、
とても羨ましかったんですね。
この甘えたかったけど、甘えられなかったことを象徴するエピソードが2つあります。
1つは、どうしても車で送ってほしくて、
駄々をこねて祖父(当時80歳くらい)に無理やり車で送ってもらったのを覚えています。
その私を送った帰りに車を擦ってしまい、
父に私も祖父もすごく怒られたのを覚えています。
2つ目は、たぶん4歳か5歳くらいだと思いますが、
久しぶりに母とお風呂に入ったときの話です。
お風呂から上がったときに、
母が「(体を)拭いてあげようか?」と言ったのに対して、
私が「いい!」と断ったそうです。
きっと甘え方がわからなかったんでしょうね。
今思うと不思議なのですが、
私はそれを自分のせいにし、
「自分が大事な子じゃないから」「自分が大切にしてもらえる存在じゃないから」
と捉えていたんだと、気づきました。
私の不快な体験「大切にされていない人、理不尽な扱いをされている人を見ること」
を象徴する体験もあります。
中学2年のとき、担任の先生がとても苦手でした。
同じクラスにはもちろんいろんな子がいて、
勉強が得意な子や、コミュニケーションが得意な子もいれば、
社交的でない子、人前で話すのが苦手な子もいました。
特に、コミュニケーションが苦手な子や社交的でない子に対して、
明らかに不平等で理不尽な対応をしているのを何度も見ました。
私はどちらかというと手厚い対応をしてもらっている方の生徒でしたが、
その理不尽な対応を目撃し続けているうちに私が苦しくなり、
その蓄積が体調不良として現れるようになりました。
自分でも辛い感覚はあまりなかったのですが、体は正直だなと思います。
中学3年になり、大好きな先生が担任になったこともあり、
一気に体調は回復しました。
私と、私の痛みとの関係性
この2つ、「認められたい」「大切にされていない人を見ると苦しくなる」
が私のベースを創り上げている痛みです。
私の人生を振り返ると、
それに支配されていたなと感じます。
気づいた私の傾向です。
・”認められたいから”社交的に振る舞う (本当はすごく疲れる)
・”認められたいから”努力を止めない (習得するとすぐ次の課題が現れる)
・”認められたいから”頼られると断れない(やるたくないし、メリットもないこともやる)
・”大切にされていない人を見ると苦しいから”人の良いところを見つけるとその人をめちゃくちゃ応援する(自分を多少犠牲にしても)
・”大切にされていない人を見ると苦しいから”相談されると最大限の協力者となる(利用されていたとしても)
これらが私の痛みからの行動(回避行動)となり、
私の人生を支配してきました。
でも、この由佐さんとの出会いで気づいたんです。
私は、こんなにも親に認めて欲しかったんだ。ずっとずっと認めてもらうために頑張ってきたんだ。でも、親は決して認めてくれてなかった訳ではない。今までたくさんのことをしてくれたし、たくさんの優しさをくれたし、たくさん支えてくれた。こんなに大切にされている人もなかなかいない。
そう思えることができました。
そう感じされた瞬間、
今までの人生で楽しかったことや頑張ったこともそうですし、
苦しかったこと辛かったこと、悲しかったこと逃げたかったこと、、、
いろんなこと全てが美しく、愛おしく感じられました。
そして、それは自分だけなく、
周りにある全ての人や物が美しく愛おしく感じられるようになり、
誰も責めなくなりましたし、より自分を愛おしく感じられるようになりました。
(ナルシストとかではありません笑)
すると、自分の中のエネルギーがみなぎるようになり、
自分の中心から素直に選択ができているような感覚があります。
全てが愛おしくなる
全ての人は、必ず何かしらの痛みを持っています。
その痛みは、現実世界に産み落とされる前、母親と繋がっていたときには感じられていた、
”あるもの”があると信じていたものが、産み落とされた瞬間から感じられなくなることで生まれます。
人は、その痛みを感じないようにするために、またその痛みに触れないようにするために、
回避行動や逃避をして、必死にこの世界に適合しようとします。
なぜなら、この世界では、統率や規律、感じないこと、感情を表に出さないことが素晴らしいとされているからです。
全ての人の行動は基本的にその回避行動と逃避に支配されています。
自分の行動を支配するしか、今のこの世界に適合する方法はないのかもしれません。
私たちが生き、行動し続けるのは、幸せを感じ、この世界で満たされるためで、
何かとつながりを感じ、愛されるためです。
しかし、この痛みからの回避行動や逃避をし続けている限り、
それは絶対に訪れません。
でも、ここまでお伝えしてきた、自分の痛みを知り、それに触れられたときに、
このシステムに論理的体感的に気づくことができ、痛みからの行動をしないように選択することができるようになります。
そうして、痛みを知覚できるようになると、その奥に眠っている、今まで触れないようにそっとしてきた自分自身の源に気づくことができます。
それがあなたのミッションステートメントなのです。
それが、あなたがこの世に生を受けた瞬間から、もしくは生み出される前から決められていた、
あなたに与えられた使命なのです。
それを知覚できると、
今まであなたが回避行動や逃避に使っていた、ある意味無駄なエネルギーを自分のミッションステートメントのために直接使うことができるようになります。
そうなると、自己統合が進み、
全てが美しく愛おしく感じられるようになります。
「ちょっと何言ってるかわかんないっす」という感じだと思いますが、
これが本当の意味での原則です。
是非、何度も読んでいただきたいなと思います。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
今日もあなたにとって豊かな1日になりますように!
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